パラケルススの墓碑「生ける者には平和を、死せる者には永遠の安息を」

PAX VIVIS REQUIES, AETERNA SEPULTIS
パラケルススの墓碑の最後にある文らしい。ラテン語で書いてあるのだが、これを訳すと
「生ける者には平和を、死せる者には永遠の安息を」
になるそうである。とてもかっこいい。
パラケルススの死
1541年の9月21日、パラケルススは公証人に遺言状を口授して筆記させる。
3日後の1541年9月24日土曜日にザルツブルグで死去。
同じ日に、遺体は聖セバスティアン教会の貧民墓地に葬られている。
遺言に拠って、わずかな所持品は若干の友人に与えられることになったそうだ。
パラケルススの生地であるアインジーデルンの血縁者に10グルデンが割り振られたのだけど、修道院長代理人が、パラケルススがその教会に属している証としてか、10グルデンと高価な装飾品を持ちさったようです。菊地原洋平 著, ヒロ・ヒライ 編集 『パラケルススと魔術的ルネサンス』 勁草書房(2013)
ここに埋葬され永眠せるものは
フィリップス・テオフラストゥス
優秀な医学博士、悪性の傷、癩病、痛風、水腫および体のその他の不治の病気を驚嘆すべき術で治癒し、その財産のすべてを貧しき人々に頒ち与えた者 1541年9月24日、彼はその生を死に渡した。
生ける者には平和を、葬られし者には永遠の休息を。
E.カイザー 著; 小原正明 訳 『パラケルススの生涯: 近代医学の父、放浪の錬金術師』 東京図書(1977)
誕生日はいつなの?
死んだ日は確かなようですが、生まれた日となると、ちょっとズレがある。
1494年5月1日 生まれ
生地はチューリッヒ湖の南方の山間部にある巡礼の霊地アインジーデルン、生年は1494年5月1日が確かであると言われる。
チャールズ・ウェブスター 著; 金子務 監訳 『パラケルススからニュートンへ―魔術と科学のはざま (平凡社選書)』 平凡社(1999)
1493年の11月30日 または、12月17日 生まれ
1493年の11月30日――12月17日とも言われているが――彼女にただ一人の子が生まれ、フィリップス・アウレオルス・テオフラストゥスと名付けられた。
E.カイザー 著; 小原正明 訳 『パラケルススの生涯: 近代医学の父、放浪の錬金術師』 東京図書(1977)
1493年後半から1494年の前半の間。ずいぶん開きがありますねえ……。
どうも、A・Hという署名による二つの肖像画の「1538年45歳」と「1540年47歳」という説明文から導き出された推測であって、確固たる証拠はないようです。菊地原洋平 著, ヒロ・ヒライ 編集 『パラケルススと魔術的ルネサンス』 勁草書房(2013)

ただ、確実に違うでしょう、っていうのもあって、それがマルティン・ルターとの取り違え。
バーゼルの錬金術師で魔術師で医師のレオンハルト・トゥルナイサーは、同時代の人物であって、ホーエンハイムの誕生日を「西暦1483年11月10日の正午ちょうど」と言っているが、疑わしい。そのわけは、この日はマルティン・ルターの誕生日であり、トゥルナイサーの取り違えは明らかである。これに反して、1493年の後半あるいは1494年の前半という説は、ある程度確からしい。
E.カイザー 著; 小原正明 訳 『パラケルススの生涯: 近代医学の父、放浪の錬金術師』 東京図書(1977)
パラケルススの出るおすすめマンガ
私がパラケルススを好きなのは河内和泉の漫画、『機工魔術士-enchanter-』の影響ですが、この漫画のパラケルススはちゃんと(?)医者をしているので、とても好きです。
骨だけど。
参考文献
- E.カイザー 著; 小原正明 訳 『パラケルススの生涯: 近代医学の父、放浪の錬金術師』 東京図書(1977)
- チャールズ・ウェブスター 著; 金子務 監訳 『パラケルススからニュートンへ―魔術と科学のはざま (平凡社選書)』 平凡社(1999)
- 菊地原洋平 著, ヒロ・ヒライ 編集 『パラケルススと魔術的ルネサンス』 勁草書房(2013)