『ウラドの人々の衰弱』での「マハの呪い」はクーヴァード(Couvade)なのか?

2018年6月21日

ワーレン・アール・ドーソン(Warren Royal Dawson)という人が書いた『擬娩の習俗』(The Custom of Couvade)という本が図書館で借りられたので読んできたのだが、こんなことが書いてあった。

多くの国の擬娩の実際の場合の考察をしてゆく前に、特別の考察を要する二つの場合がある

として、 サイプラス島(Cyprus)と、アイルランド(Ireland)を挙げる。

なぜなら、これらは、宗教的儀式の性質を帯びており、そして宗教的儀式として、子供の実際の誕生に際して、ただ個々の夫たちが行っている擬娩の慣習的な形態とは、全然違っているからである。ワーレン・アール・ドーソン, 中西定雄 訳 『擬娩の習俗』 下関 : 中西輝磨(1982)

著者が言っているアイルランドについての箇所の内容は、『ウラドの人々の衰弱』(Noínden Ulad)における「マハの呪い」のことだった。

彼女の分娩の刹那に、マカは大きな叫びをあげた。それを聞いたすべての人は、一種の呪力にうたれた。彼らは、その一生に一度、出産の苦痛を、五日四晩あるいは四日五晩、悩むよう運命づけられた。これは「アラツ人の九夜の週間」(The Nine-night Week of Ulates)と呼ばれた。この期間、男たちは、分娩の際の女と同様に、力がなかった。そして、この不思議な苦痛が、父から息子に、九代にわたった。ただ英雄クーフリン(Cuchulainn)のみが、この呪詛から免れた。叙事詩の女王メブ(Medb)が、アラツ人の王国(アルスター)に侵入して、主たるアイルランド叙事詩の主題である戦争を始めた時、アルスターのすべての戦士は、彼らの予言された呪詛で苦しめられて、戦うことが出来なかった。クーフリンが唯一の例外であったが。

この注目すべき物語は、明らかに神話的起源のものである。その男たちに強いられた擬娩は、暴行された女神の自分への悪行に対する復讐であった。
ワーレン・アール・ドーソン, 中西定雄 訳 『擬娩の習俗』 下関 : 中西輝磨(1982)

「クーヴァード」とは?

そもそもクーヴァードとはどういったものだろうか。

参考 馬場 優子 『クーヴァードと社会的父子関係』 大妻女子大学文学部紀要 22, 33-45(1990)
参考 棚瀬 襄爾 『クーヴァーディズム』 民族學研究 21(1-2), 66-72(1957)

著者は英国やスコットランドでの事例を紹介してくる。

英国諸島における擬娩の習慣は、今なお、一般に行われている次のごとき信仰に残っている。すなわち、女の妊娠あるいは分娩が、その夫に感応し、しかも前者は、後者が、それに悩むのに比例して、苦痛から救われる、という事である。這般(しゃはん)の信仰は、近年に、オックスフォードシャア(Oxfordshire)、チェシャア(Cheshire)、ヨークシャア(Yorkshire)及びその他の地方から記録された。そして、類似の諸観念が、『結婚した男の歯痛』(married man’s toothache)にまで退化し、それについて、多くの実例が、提供され得た。スコットランドの北東部では、もし夫が、結婚の翌朝、真っ先に起きるならば、彼は、妻の分娩時に、出産のすべての苦痛を負うだろう、という信仰が今なお残留している。しかし、我々は、これらの朧ろげな慣習よりも、もっと明確な擬娩の証拠を有する。例えば、スコットランドにおいては、十八世紀に、及び恐らくその後も、乳母は母から父に、出産の諸苦痛を随意に移し得る、と信ぜられた。これは、一つの新しい要素、すなわち、妖術を導入しているものであるが、擬娩の伝承は明瞭である。トーマス・ペナント(Thomas Pennant)は、1772年ダムフリースシャア(Dumfriesshaire)なるラングホルム(Langholm)への訪問のことを書いて、次のごとく述べている。『産婆たちは、我々の最初の大母に与えられた原始の呪詛の一部を、善良な妻からその夫に移す力を有した。私は、こうした産苦から生まれた評判のある子に会った。その子は、母にはほとんど不安を与えずに親切にこの世に生まれて来たが、夫の方が可愛そうにも苦悶で呻き、そして異様なしかも不自然な苦痛にあったのである。』類似の実修がアイルランドから記録されている。
ワーレン・アール・ドーソン, 中西定雄 訳 『擬娩の習俗』 下関 : 中西輝磨(1982)

……が、いまいち私にはクーヴァードというものがわかりにくく、うまく理解できていないでいる。

マハの呪いとクーヴァード

日本語文献で、マハの呪いとクーヴァードについて書いてあるのを見つけられたのでメモしておく。(英語があまり得意ではないので……)

マイルズ・ディロンは『古代アイルランド文学』で、「クーリィの牛捕り」中、マハの呪いの部分に注をつけて、このように説明している。

このNoinden Ulad(「アルスター人の病臥」)については、近年M・L・ショエステットが詳細に論じている(Dieux et Héros des Celtes[Paris, 1941],p.39)。ショエステットはこれをcouvade(擬娩)実践の残存形態と見ているが、ここでは、戦いの女神たる「母なる神」を賛えてする和解の儀式である。マイルズ・ディロン, 青木義明 訳 『古代アイルランド文学』 オセアニア出版社(1987)

リンク Gods and heroes of the Celts : Marie-Louise Sjoestedt

ショエステットが著した Dieux et Héros des Celtes を英訳したのがマイルズ・ディロンだった……が、今の所どのように論じられているのかわからないため、保留するしかない。(´・ω・`)

呪いは父から息子に9代にわたって続く、場合

この期間、男たちは、分娩の際の女と同様に、力がなかった。そして、この不思議な苦痛が、父から息子に、九代にわたった。 の原文を、Indetnet Archiveにあった原著で確認してみる。

リンク The Custom Of Couvade : Dawson, Warren R. – Internet Archive

During this period the men had no more strength than a woman in travail, and this strange affliction passed from father to son for nine generations.(p.5-6)

クーフリンだけがこの呪詛から逃れた、例外だった。その理由として考えられるのはやはり彼の血筋である。

彼の父親はルーグであり、そもそも人間ではないからだろう。もしコンホヴァルだった場合は……破綻してしまうが。
著者がこの呪詛は「父から息子に」9代にわたって続くものだと説明しているので……おそらく、ルーグだろう。

ただ、トーインの中でクーフリンと一緒に動き回っていたはずのスアルティウや、クーフリンの御者ロイグに呪詛が及んでないのはどういうわけだろう。

ローズマリー・サトクリフの『ケルト神話 炎の戦士クーフリン』ではロイグの出自はアルスターではなくレンスターということにされているが、

ロイグは牛争いで殺されたレンスターの貴族の息子で、自分の身に何が起こったのかわからないほど幼かったころに、人質としてコノール王のもとに連れてこられた。この地で育つうちに、自分がアルスターの生まれでないことなど忘れてしまったらしい。ローズマリー・サトクリフ, 灰島かり 訳 『ケルト神話 炎の戦士クーフリン』 ほるぷ出版(2003)

そもそもロイグの父親はトゥアサ・デ・ダナーンとディロンの『古代アイルランド文学』にあるため、呪詛が及んでいないのも納得はできる。

リアンガバル(その息子レーはクー・フランの戦車手である)、センナハ・シアボルセなどは、その名がしばしば登場してくる妖精たちである。(p.100)マイルズ・ディロン, 青木義明 訳 『古代アイルランド文学』 オセアニア出版社(1987)

妖精たちとしてあるが、同書227頁では注(20)においてレーの父親リアンガバルはトゥアサ・デ・ダナーンであった。とはっきり書いてある。

スアルティウについてはわからない。(´・ω・`)

ぼく
ぼく
とてもまとまりがないが、これで終わる。それではまた!

この記事で参考にした書籍一覧

  • ワーレン・アール・ドーソン, 中西定雄 訳 『擬娩の習俗』 下関 : 中西輝磨(1982)
  • マイルズ・ディロン, 青木義明 訳 『古代アイルランド文学』 オセアニア出版社(1987)
  • ローズマリー・サトクリフ, 灰島かり 訳 『ケルト神話 炎の戦士クーフリン』 ほるぷ出版(2003)