夢幻能『鷹姫』を世田谷パブリックセンターで見てきました

2018年7月30日

W.B.イェイツの『鷹の井戸』を翻案した夢幻能、6月30日の『鷹姫』公演を見に東京まで遠征してきました。九州南部の田舎に住んでいるので数年ぶりに飛行機に乗ってレッツゴー。

ちなみにわたしは日本の伝統芸能はこれまで、まったく見たことない。初めてでした。舞台なんて行ったこともないからどうすればいいんだろう……ドレスコードとかないよね……って緊張していましたが、普通にブラウスとズボンとスニーカーで行っても大丈夫っぽい雰囲気でした。よかった……。

―狂言劇場 特別版― 能『鷹姫』・狂言『楢山節考』 | 主催 | 世田谷パブリックシアター

別の時の公演のwebサイトですが、ケルティック 能『鷹姫』 にあらすじ・解説があって『鷹姫』と『鷹の井戸』との関係を知りたい方はどうぞ。アヌーナとのコラボも見てみたかったですね。

最初に、「心の目もて視よ」と観客が注意を促される演出は『鷹の井戸』にもあり、音声とともにスクリーンに映し出されたときは、おお……ってなりました。

心の目もて視れたかどうか自信はありませんが、能に影響を受けたイェイツの書いた『鷹の井戸』が日本で能『鷹姫(鷹の泉)』として翻案されたという経緯が面白いですし、そこにちょっとでも触れられました。和楽器の音って澄んでていいですね。

次はイェイツが好きだった能についても勉強していきたいです。「養老」やってないかな、見に行きたい。

野村萬斎による空賦麟(くうふりん)

まず『鷹姫』を見たかった一番の理由、これなんですが(笑)

映画『陰陽師』をやった野村萬斎がくうふりん……うつくしいにきまってるじゃないですか……。

しかし『鷹姫』が『鷹の井戸』と違うと頭ではわかっていても、空賦麟が自分のことを「王子」だと名乗ったときは君はコンホヴァル・マク・ネサ王の甥ではあるが王の息子ではないし王子というのは「……詐称では?」となってしまったので、予習はもっとしっかりしていくべきだったと反省しています。作中では波斯(ペルシャ)国の王子らしいです。

衣装もキラキラしてました。多分あの空賦麟はキラッキラのおそらく自分が持ってる中で一番美しい衣装を着て女心を荒らし回った頃だろう、青年っぽさがあったように感じる。

異界の鷹の女

アイルランド神話を知っているなら誰もが耳にしたことがある英雄クー・フリン(空賦麟)と張り合える、うつろな目をした、異界の鳥の女である鷹姫。一言も台詞を発しない彼女こそ、舞台の上では主人公だった。

ものすごくどうでもいいんですが、鳥に変身できる異界に属する女性で(鳥の姿のとき)クー・フリンに狙われて無傷で生き残ってるってだけで「すげぇな……」ってなります。クー・フリンが鳥に変身している女性を狙った後は女性が可哀想な目にあう勝手なイメージがありまして。(『鷹姫』はむしろ空賦麟の方が苦々しいことになりますけれども)

『鷹の井戸』をテキストで読んだだけの頃は、若者クー・フリンの物語と受け取っていましたが、舞台の上だと鷹の女の存在感は圧倒的です。読むのと見るのとでこうも違うものかと思います。

舞台の上は間違いなく、鷹の女の領域である「異界」の空気があった。

老人と若者と枯れた水

永遠の生命を得られるという水が湧くのを待ち続けている老人は空賦麟の名前など知らない。しかしこの老人も若い頃、やってきた若者・空賦麟と同じように水を求めてこの場所へたどり着いた。……ということで、若者と老人は重なる。

元の『鷹の井戸』だとクー・フリンは水を得られなかった後、老人からそばにいてくれと頼まれても、戦いにでかけて行く。『鷹姫』では杖をついて第二の老人になってしまう。

個人的にはこの老人になるという『鷹姫』空賦麟の結末は、『鷹の井戸』の戦いに行くクー・フリンよりも苦々しい終わり方ではないかと思いました。

『鷹姫』と神話は、別に考えないといけないんでしょうけど……。初期アイルランド文学におけるクー・フリンは「名声」が残るなら一日しか生きられなくても構わない、と少年のときに言うようなキャラクターなので、何も為さずに老いるという結末は、あまりにもらしくないと感じるため、勝手に苦々しいような気持ちになってしまった。

そもそもクー・フリンは永遠の命とか、不死とか、そういった自分自身が生き続けることには興味ないようなキャラクターですが、であるなら、永遠の生命を得られるというあの泉の水は何なのだろう?

イェイツは『鷹の井戸』上演のためのロンドン滞在中、復活祭蜂起が起こったことを知ります。初演は1916年4月、復活祭蜂起の直後でした。

1915年頃から書かれている『鷹の井戸』とアイルランドの歴史的状況も踏まえ、Twitterでフォロワーさんに教えて頂きつつ、泉の水は永遠の芸術のようなものだろうと解釈で私の中では落ち着いた。あるいはそれを解する豊かな精神のようなもの?

水が溢れ出る井戸の演出

『鷹の井戸』では老人は眠り込んでしまった間に、若者は鷹の女の舞に惑わされている間に水が岩を濡らす程度に湧き出るが、二人とも飲むことはできません。

これが、私が見た『鷹姫』では勢いよく水が溢れ出るような布の演出があって、そして鷹姫と空賦麟の戦いがある。

この「水が溢れ出る井戸」というのはボイン川やシャノン川の女神たちの話を彷彿とさせるなあと思った。そういえば七つの川がコンラの泉(Connla’s Well)から流れ出ているって話がありました。

『鷹の井戸』の風景はコンラの泉を彷彿とさせますが(というわけで『鷹姫』の風景も自然と似ている)、実際に水が溢れ出たような演出はちょっとびっくりした。あんだけ溢れてたら一滴くらい飲めそうだよね。

とりとめなく終わり。