ディアドラは何故ノイシュの耳を掴んだのか? 女たちの愛の要求

2018年7月7日

以前紹介した『ローナーンの息子殺し』は『ウシュリウの息子たちの放浪』にも類似した話です。

過去記事 『ローナーンの息子殺し』Fingal Rónáin(初期アイルランド文学・歴史物語群)

辺見葉子「エヘドの娘の「恋」─中世アイルランドの文脈」
柴田陽弘 編著『恋の研究』 慶應義塾大学出版会(2005)所収

の中で、ディアドラ(デルドレ)がノイシュ(ノイシウ)にゲシュをかけた際、両耳をつかんだという仕草の、フィリップ・オリアリーの解釈について触れられていて、それが興味深かった。

両耳を掴むのは相手に「保護」を要求する仕草?

デルドレがノイシウにゲシュをかけた際に、両耳をつかんだという仕草の解釈として、フィリップ・オリアリーは、これは「両頬をつかむ」という、中世アイルランド文学に登場する、相手に保護を要求し、それによって相手の名誉に挑む際の、一種儀式的な仕草と同等なものであると提唱している。ここでデルドレは、ノイシウに彼女の「保護」を要求したのであり、これは戦士として拒めない名誉に関わる要求であるため、ノイシウはなす術がなかったのだと論じている。
辺見葉子「エヘドの娘の「恋」─中世アイルランドの文脈」 p.225

デルドレがノイシウの両耳をつかんでゲシュをかけたシーンを、『デァドラ精選シリーズ』のオフラナガン版から次に引用します。

 ニーシャがひとりで歌っていると、デァドラがそっと家を抜け出し、彼に気づかぬふりをして通りすぎようとして。
「おや、素敵な雌牛がお通りだ」とニーシャが言った。
「そうでしょうよ」とデァドラが言った。 「雄牛のいない雌牛は太るばかりです」
「お前さんには立派な雄牛がついているじゃあないか。何しろアルスターの大王様だからね」
「どちらかというと、私はあなたのような若い雄牛がほしいのです」
「ちょっと待った。カファの予言があるからね」
「あなた、私では不足なの」
「その通り」
 するとデァドラはニーシャの方にかけ寄り、その両の耳をつかんだ。
「この耳は恥の耳。さあ、私を連れて逃げるのです」
「そうはいかん。離してくれ」
「私の言う通りにするのです」
T.オフラナガン, P.W.ジョイス他 ; 三宅忠明 訳 『ウシュナの子』 大学教育出版(2000)

実際、ノイシュ(ニーシャ)は一度は断っています。両耳を掴まれ、自分を連れて逃げて、と言われた際に「離してくれ」と言うが、呪誓(ギーサ)をかけられ思わず叫び声をあげている。

のっぴきならない状況に追い込まれてしまいます。

ここで描かれているのは、戦士にとって最大の社会的な義務である「保護」を、名誉にかけて挑まれ、臣下としての忠誠の義務との板挟みになった葛藤の場面であるとしている。辺見葉子「エヘドの娘の「恋」─中世アイルランドの文脈」 p.225

戦士として最大の社会的義務である「保護」を要求されたから、大変なことになったと周りも反応して、ノイシウたちはデルドレと一族を連れて逃れることになるのですね。

しかし両頬をつかむという仕草が何故、保護を要求することに繋がるのか。類似の例を今後探してみたいと思います。

ちなみに、ジャン・マルカール(Jean Markale)はここでデルドレがつかんだのはノイシウの両耳ではなく彼の睾丸であっただろうと、デルドレのこの仕草を性的能力に関わる名誉への挑戦だという解釈をしているようです。
Jean Markale, Women of the Celts, Inner Traditions(1986)

流石に睾丸を掴んではいないと個人的に思うのですが、デルドレがノイシウにしたのは 性的交渉を含む「愛」の要求 であることは想像に難くない、といいます。

女性に気を置くことはむつかしい……

これに関してはデルドレとノイシウよりも、『ディルムッドとグラニアの追跡』の方がより明らかだと思います。
ディルムッド、グラニアから「泥のほうが大胆ね」と言われてしまいますからね。

ちょっと長いのですが、泥エピソードの部分を是非とも読んでいただきたい。

 彼女は勇を鼓してディアミッドの傍らを大股に歩き出した。と、一抹の水しぶきが、足指の間を抜けて跳ねあがり、それが彼女の太腿のところに当った。このとき彼女はものやわらかく、何か気にするような調子で言った、
「まあ何て嫌な、おかしな飛沫だこと! そなたはディアミッドよりかも大胆だわ!」
「いまあなたは何と言われました、おお、グラーイネよ!」と、ディアミッドは訊ねた。
「何でもないの」と、グラーイネは答えた。
「そうではありますまい。その理由がわかるまで、わたしのこころは穏かでない。気にかかることを聞いたように思うから」
 そこでグラーイネは、口ごもりながら、はじらいながら、謙虚に言った。
「ディアミッド、そちは戦さと闘いの場にあっては勇悍で雄々しいわ、でも、この一抹の水しぶきのほうが、そなたよりもっと大胆だと思ったの」
「おゝ、グラーイネよ、それは本当です。フィンのことを恐れて、これまで長いあいだあなたに触れずにきましたが、もう、これ以上、あなたの非難には耐えられませぬ。本当に女性(ひと)に気を置くことはむつかしい」
 ディアミッドはグラーイネを、そこで初めて妻として扱い、彼女を茂みの中につれて行った。その夜、彼は野の鹿を一頭殺して、その肉を食し、新鮮でさわやかな水を腹いっぱいに飲んだ。
佐藤輝夫 『トリスタン伝説 -流布本系の研究-』 中央公論社(1981) p.71

それまで潔癖に、グラニアに対して気を置いていたディルムッドなのだが、性的なことで嘲笑れると即日メイクラブしている。いや、泥と比較されるのは流石に耐え難いというか、かわいそうな気がしてしまうのですが……。

ディルムッドの内面で、フィン・マックールに対する忠誠と自身の名誉とが秤にかけられるが、自身の名誉の価値を損なうことはできないらしい。

中世アイルランド戦士社会において、戦士としての武勇の名誉は、肉体的な強壮と不可分であった。こうした文脈において、女からの愛の申し出を拒むことは、それ自体が不名誉な行為であり、嘲笑の対象として自身を晒すことであった。この不名誉や嘲笑が、男としての性的な能力に関わるものであることは想像に難くない。
辺見葉子「エヘドの娘の「恋」─中世アイルランドの文脈」 p.225

ディルムッドはグラニアにゲシュをかけられた後……

余談になりますが、ディルムッドはグラニアから泥以下と言われる以前、ゲシュをかけられた後でも涙ぐましい努力をしているのです。しかし、グラニアはにべもなかった。

名著普及会の『世界神話伝説大系41 アイルランドの神話伝説2』では、一マイルほど逃げたところでディルムッドが今ならまだ大丈夫です。あなたがフインの許へかえってくれさえしたら、私はこの後あなただけではなく、一切のほかの女と交渉をしない。逃亡をしない。真実の騎士の言葉にかけて誓約しますと言うのに、グラニアは今更、何を未練がましいことを言っているのですと返してディルムッドの先を歩いていくところがあります。

メンタルがダイアモンドでできている と思いました。

結局、女性を拒絶することは可能なのか

ノイシウとディルムッドは、デルドレやグラニアという女性たちを拒絶することが「不可能」な状況に追い込まれている。その状況を作り出す鍵が、ゲシュ(呪誓) になります。

辺見葉子氏の説明によると、女たちがゲシュを課したのは男たちが一度断った後のことであり、別の見方をすれば、一対一の男女としてのプライベートな状況下においてならば、男たち(戦士)でも女たちを拒絶ことは可能だったが、ゲシュとして宣言された途端に状況は一転する。つまり、ゲシュは女の愛を受け入れるか否かという問題を、プライベートな場から公の場へ引きずり出してしまい、公の場になってしまったら、“公然”と戦士が女性の愛の申し出を拒絶することは恥や名誉の問題から不可能になる、と。

あの日あの時あの場所で会わなかったら彼らはいつまでも見知らぬ二人のままでいられたのでしょうか……。

記事で参考にした書籍一覧

  • 柴田陽弘 編著『恋の研究』 慶應義塾大学出版会(2005)
  • 佐藤輝夫 『トリスタン伝説 -流布本系の研究-』 中央公論社(1981)
  • 八住利雄 編 『世界神話大系41 アイルランドの神話伝説』 名著普及会(1981)
  • T.オフラナガン, P.W.ジョイス他 ; 三宅忠明 訳 『ウシュナの子』 大学教育出版(2000)

フィリップ・オリアリーの解釈については以下で読めます。

  • O’Leary, Philip, “Honour-bound: the social context of early Irish heroic geis”, Celtica 20 (1988): 85–107.